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2011/06/03

社会体制のトリレンマ

経済学も法律学も専門で勉強したこともないのに、いつのまにか「リフレ派」(の中でもかなり異端だとは思うが…)になってしまってる私だが、どうも反「リフレ派」の価値観というか世界観らしきものが見えてきたのでそれをまとめてみることにした。

題して「社会体制のトリレンマ」。

この世には人口増や技術の発展などによる発展・成長すなわち「経済」と、個人の生存権や自由・平等と言った「人権」と、資源・エネルギーの持続可能性や生物多様性といった「環境」の3つがあり、この3つをすべて同時に満たすことは不可能だという世界観。
「経済」と「環境」をとると、限られた人数だけが進んだ生活水準を享受する、そのために資源制約の中で養える水準を越えたら間引く「社会ダーウィニズム」になり、「環境」と「人権」をとると資源制約の中で「持続可能」になるまで皆で生活水準を下げようという「清貧思想」になり、そして「経済」と「人権」をとると高度成長期や今の中国・途上国のように「環境」を無視して、刹那的に資源を浪費しすぐに使い果たしてしまう。

こういうトリレンマがあるという世界観だから、「社会ダーウィニズム」か「清貧」かという2択の発想になる。
そこで経済学クラスタというかリフレ派は「いや、経済成長の果実を皆が得られるようにしても『持続可能』だよ、だからとりあえず経済成長だよ」と言ってるけど聞く耳を持たれない。
いっそのこと「経済成長で資源を使い果たすとしてもそれでいいじゃないか、多少寿命が縮んでも苦痛なく死ねるほうがいい、ホスピスだ」と言ったほうがまだ理解されるのかもしれないけど、倫理的に受け入れられそうにない。

たとえばコースの定理とかで、外部不経済も当事者同士の金銭取引で解決できる、社会全体の厚生を最大化できるというけど、これを、日本がガンガン生産・消費して温暖化を促進させてるおかげで水没の危機にある太平洋の島国があるとして、そこの住民を救うために日本人が我慢して生活水準引き下げて温暖化を止めるよりも、その国の住民を皆日本に移住させて一生日本で遊んで暮らせるほどの補償金あげたほうがたぶん安くつくだろうけど、そこまでのものだとよっぽど自由主義的な経済学を学んだ人でも受け入れるには倫理的にハードルが高すぎる。

どうも、質量保存・エネルギー保存の法則みたいに世界はゼロサムで、ニクソン・ショックで金本位制が終わったかわりに石油本位制、あるいはCO2排出権本位制になったみたいな発想のようだ。
特にあの原発事故以降、現状での停滞では足りない、産業革命前まで戻さないと(その過程で地球人口が何十分の一になってでも)「持続可能」じゃない、なんて意見が堂々と出てきている。
そういうのって、「震災で東京がバリアフル都市になった件(障害者当事者の視点から)」で書かれてるような、生存するだけで大量のエネルギーを消費しなければならないような人間に、ただ「死ね」というだけじゃない、彼らが生きてること自体がヒトの「本能への宣戦布告」だというようなもの。絶対に許されない。

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