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2009/04/19

それは「報道」へのフリーライドじゃないのか?

http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20090416

マスコミが自ら公正・公平の看板叩き割って「偏ってるに決まってるだろ」と叫べば色々と解決しそう

お言葉を返すようで恐縮なのですが、それは非現実的だしやるべきでもない。

確かに、メディアから公正・公平の建前を取り払ったら、ただの「欲望処理産業」(『他人の不幸は蜜の味』というのはどうも脳科学的にも証明されてきているらしい)なんですから、よくてタバコ産業か公営ギャンブル程度の存在意義になりますよね。

ただ、現代においてそれを実現しようとするにはあまりにも問題が多すぎるんですよ。

1.「先立つもの」は誰が出すのか?
HALTAN氏は

「一刻も早く日本の新聞は押し売りを止めろ」「新聞人は押し売りを止めてこれまでの無礼を日本国民に土下座して詫びてから天下国家を語れ→押し売りを放置してきた新聞人に天下国家を語り言論の自由を行使する資格は一切無し!」(http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20090419/p1

といいますが、確かにそれは正論です。しかし、逆に「押し売り」や押し紙などで安定した収入があるからこそ、売り上げにつながらない「正義」や、売り上げ以上にコストのかかる「公正な報道」が可能になっていたのではないでしょうか?
もし「押し売り」などの不正手段による収入がなくなったら、よりいっそう「売れる」記事や番組だけで占められてしまうのではないでしょうか。実際、ちょっと前まで(通信手段の発達によって全国紙が登場する前)の米国の地方紙やローカル局は、それこそ町ごとのスキャンダリズムがほとんどで、そのせいであまりにも頻繁に「政権交代」がおこるようになってしまったところもあると聞いています。
「リフレ」やケインズ主義で景気回復すれば広告費が増えて賄える?そんな甘いものじゃないと思いますけどねぇ。企業だって「扇動」にすぐ乗ってしまうような「大衆」相手だからこそ広告効果が高い(同じ宣伝でも騙されて買ってくれる可能性が高い)として金を出すのではないでしょうか?企業はこの不況下でネットなどマス広告以外の広告手段を身に着けてきていますから、「公正な報道」を求めるような疑り深い層相手では(可処分所得が高く高級品が売れる可能性が高いとしても)少なくともマスメディアを使った宣伝では割に合わないと判断されるのではないでしょうか?
そもそも、「公正な報道」を求める人がメディアに支払うコストだけではそれが実現できず、その穴埋めを「押し売り」やマスゴミ的なスキャンダリズムや扇動によって稼いだ利益で行っているのであれば、その分を支払わずにメディアに「正義」や「公共性」を求めるのはフリーライドに他ならないのではないでしょうか?HALTAN氏はかつてmojimoji氏のことを

とても正義への希求が強い方(http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20081109/)

と揶揄されてましたが、メディアに対してはご自身がそうなっていませんか?

2.政府が金を出すことによる弊害は?
確かに、HALTAN氏は「報道」は公共財なんだからフリーライドして当然、むしろ政府が金を出して支えるべきといっておられたと思います。しかし、営利企業であれ非営利組織であれ、「金を出す者の奴隷」になることは避けられないのではないでしょうか?(今のマスメディアが「スポンサーの奴隷」としての役割を果たせているかはまた別の問題ですが)そして、メディアが(今のNHKのように「複数の中の一つ」としてならむしろ必要ですが)「政府の奴隷」になることは、たとえ「報道」でなくてもあまりにも弊害が大きすぎるのではないか、かけらでも残っている「民主主義」の芽を完全に消してしまうことになるのではないかと思います。
HALTAN氏は「淡々と政府に都合のいい『報道』をしてくれるなら、『政府の悪行』をポピュリズム的に扇動されるよりマシだ」とお考えなのかもしれませんが、仮に衆愚による「民主主義」よりは「啓蒙専制君主」の方がよいとしても、メディアを市場に任せるよりも政府のほうがよりよく活用してくれるというのはあまりにも楽観的ではないかと思います。少なくとも、私が役人や政治家だとしたら、「使える」ことを知っている以上はその誘惑に勝てる自信はありません。
また、今でもイタリアとか途上国ではやられているように政府(あるいは権力者個人)に取って都合のいい方向に扇動するために使われるのならまだしも、「民意に動かされやすい政府」によって「『サーカス』を与える」目的で利用されるとしたら、現状の悪いところが何一つよくならない上どころかさらに悪いところも加わる最悪の状況になってしまうのではないでしょうか?
まあ、米国や英仏独ベネルクス北欧のマスメディアが日本よりはマシに見えるのも、

日本のような「全国紙」やブロック紙・県紙のような「一地域独占紙」が存在しないのは、「日本のような強硬な拡張(押し売り)で国土全土に部数を拡大する商法が行われなかった」「日本の一県一紙令(1941)のような政策が採られなかった」がゆえのこれまた偶然に過ぎない(http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20090418/p1)

のと同じでプロテスタンティズムとかがゆえの偶然に過ぎない、ひいては欧米で「公正な報道」が「民主主義」を成り立たせていたのもすべて偶然に過ぎないということなのかもしれませんが…。

3.そもそも、「公正な報道」を見たがる人がどのくらいいるの?
仮に1.と2.が何らかの手段で解決され、マスメディアによって「公正な報道」が供給されるようになったとしましょう。しかし、そもそもそれはどれだけの人に見てもらえるのでしょうか?
そもそも、HALTAN氏は

「ワイドショー的報道番組の誕生」について言えば、1985年のニュースステーションの誕生が全てを決壊させた(http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20090411/p1)

といいます。しかし、その2年前、1983年には家庭用ゲーム機の最大のヒット作、ファミコンが発売されています。ゲーム機は、TVと同じモニタ画面を奪い合う狭義のライバルであることはもちろんですが、そればかりではなく娯楽に使う「時間」を奪い合う(1日は24時間という限界があり、「リフレ」などしようもないまさにゼロサムの競争です)広義のライバルでもあります。それまで娯楽をほぼ独占していたマスメディアにとって、初のメディア外部からの強敵の登場に対する回答が「ワイドショー化」だったのではないでしょうか?
今となっては、マスメディアの敵はネット・ケータイなどマスじゃないメディアだけではなく、ゲームやビデオ・DVD、パチンコなど「メディアでない」娯楽のほうが主といっていいでしょう。これら「娯楽市場」のなかで、「公正な報道」を選ぶ人がどれだけいるのでしょうか?検閲によってあるものを見せないようにするのは民主制の下でも簡単なことですが、逆にあるものを強制的に見せるのは今や中国ですら不可能でしょう。
確かに、欧州の身分制や米国の巨大な貧富の格差のように「階級」がはっきりしているならば、「エリート」だけが読む「クォリティペーパー」の可能性はまだあるでしょう。しかし、この国では東大も三流大もレジャーランドなのは同様、「ノブレス・オブリージェ」など成り立つはずもありません。そんな中で「公正な報道」をやっても、誰がそれを見るのでしょうか?仮に経済的には成り立たせることができるとしても、誰も見ない「報道」に何の意味があるのでしょうか?

もう「近代」は終わった、「啓蒙」は不可能な時代になったんです。

(追記)
http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20090420/p2

なんか肝心のところに答えてもらってないようなんですが…

ジャーナリズムを支える「安定した収入」を「押し売り」で叩き出すのは一般社会に多大な迷惑を掛けるのでもう止めてください、という話しかしていません。

こちらは「右であれ左であれ大衆を扇動するのは間違っている」「とくにオープンアクセスのTV無料放送でそんなことをやってはいけない」としか書いていませんよ。

いや、ですから「報道」であれ広告であれメディアが「扇動」抜きで稼ぐことは可能なんですか?可能だというのならば、まずその手段を教えてくださいよ。クオリティペーパーの代名詞ともいえる「タイムズ」だって、今や「サン」(日本のスポーツ紙なんてものじゃない、タブロイドの代名詞)だけならまだしもFOX(4大ネットワークの中で最も扇情的、こちらも日本のTV以上だと言われてる)の上がりで食わせてもらってるんですから。
その手段はない、もちろん「押し売り」なんてもってのほかということであれば、「報道」が縮小していくこと、「報道」によって支えられていた「民主主義」が退化していくことは仕方がないとして受け入れてくれるんですよね?まあ、「シンガポールや中国のような開発独裁体制でも取れない限り、日本はもうどうにもならない」とまで言うくらいですから、しょせん非プロテスタント国に「民主主義」なんて無理、古代ローマ民主制も「パンとサーカス」で潰れたし今のイタリアでもベルルスコーニ見てると日本のほうがまだマシといっても過言じゃないしというのが真理なのかもしれませんが…。

意味は「ある」でしょ? もし誰かが取材して記事(ニュース)にしなかったら公にならないままに終わっていた話、など世間には幾らでもある。

確かに、読まれる「かもしれない」ニュースを取材することには、そういう意味での「意義」はあります。しかし、それが実際に読まれたり利用されなければ「意味」はないですし、それ以前に読まれたものならまだしも、読まれなかったものも含めて、利益までは出せなくてもせめてコスト割れしない程度には対価が支払われなければならないでしょう。そのコストは政府が出すというのなら、政府に都合の悪い記事は出なくなって「人民日報」や「プラウダ」になるのですから、ますます意味は薄れます。
そこで、「報道に携わる者の『モラル』や『公共性』に頼る、持ち出ししてでもやれ」というのであれば、右や左の運動家とどこに違いがあるんでしょうか?

「誰かがやらなければいけない」と理想論を言うだけで、そのために必要なコストを支払うつもりがないのなら、それはフリーライドにも程があるでしょう。左や右の口だけの大学のセンセー方と何が違うんですか?

まずは先立つものを持って来い、話はそれからだ。

(さらに追記)
http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20090421/p1

・・・この人が何に絡んでいるのかよく分からない。

いや、こっちは徹頭徹尾「報道」にかかるコストは誰がどうやって出すのかという話しかしていないんですが。↑で書いたとおり「まずは先立つもの(金)を持って来い、話はそれからだ」に尽きるんですけどね。
「報道」というのは、そのままでは「娯楽市場」のなかで売れない商品なんですから、それでも供給されるべきだというのであれば、「報道」を必要だと考える人が「市場」のなかでメディアによりいっそう高い金を支払うか、「押し売り」によって本来「報道」が必要でない人に負担させるのか、「扇動」によって「売れる」ように味付けすることで報道被害という「公害」を生むのか、政府が金を出すことによって政府にとって都合の悪い「報道」が出てこなくなるというコストを払うのか、何らかの形でそのコストを支払わなきゃいけないんですよ。「リフレ」にしたって、資産や労働力を退蔵させている人に「インフレ税」という形でコストを支払ってもらうもの(私はそれは『割に合う』と思いますし、払う気満々ですが)なんですし。
そのコストをどの形でも支払いたくないというのであれば、支払われるコストに見合ったところまで「報道」が縮小するのはやむをえないでしょう。トレードオフなんですから。「扇動」さえなくなれば同時に「報道」も消えていい、「報道」によって支えられていた「民主主義」が退化するのも仕方ないというのならまだ筋は通っていますけど。

そんなことは知りません。自分は経営者じゃないから。ただし商業ジャーナリズムの扇動が社会に害悪を与えるなら、一定の規制はやむを得ないでしょう、という話しか致しておりません。

だから、↑で書いたような何らかのコストを支払わずに、それでも「扇動」のない「報道」は必要だと言うだけなのならば、あまりにもフリーライダー丸出しじゃないですか。「儲けてる経営者・資本家から累進課税で分捕って再分配すればいい」といってるだけのサヨとどこが違うんですか?

(さらに追記)
http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20090422/p1

実現するためのコストをどこから捻出するのかという話が「絡むために絡む」とは…。
映画に関してはビジネスに徹しろ、売れない作品を過剰供給するなといってたのと同じ人とは思えない。ダブスタとまではいわないが。

「『報道』でも『制作』でも構いませんけど、世の中を乱すことだけはやめてください」と言うのがそんなにいかんのかね?

商品の製作過程で「公害」を出さないことには利益を上げられないのなら、その利益でどんなに社会的意義のある「メセナ」をやっていようともそれを含めて切り捨てる、それなら筋は通っています。しかし、利益を上げる手段である「扇動」や「押し売り」を奪っておきながら、その利益をつぎ込んでやっていた「報道」は今までどおりやれと、いいとこどりしようとするのはいくらなんでもムシがよすぎる。だからフリーライダーだっつってんだよ。
営利企業がビジネスとしてやってることなんだから、「メセナ」だってその企業のイメージアップにつながる、その企業の長期的利益になる範囲内でやるのであって、(たとえば「福祉や環境保護に寄付するくらいならもっと安く商品を売れ!」というような顧客ばかりなら)それを超えて「自制」するのは株主への背信行為でしょうが。非公開企業であっても。(それを「営利企業は『報道』なんて儲からないものに手を出すな、NHKやBBCみたいに非営利組織でやれ」ととっていただいてもかまいませんが)

ただ、

徹頭徹尾「報道」にかかるコストは誰がどうやって出すのか

また自身は英語圏・欧州で現実化しつつあるらしい「社会インフラとしてのジャーナリズムへの何らかの形での公金投入」にも反対していません。

とか、

・・・その結果がTV局の大衆迎合と言いたい放題なら、そんなくだらん「民主主義」は捨てちまえ!? という話にしかならない!? 

というからには、「押し売り」をやめることによる減収分は政府が補填し、そのことによって政府にとって都合の悪い「報道」が縮小され「人民日報」や「プラウダ」になってもやむをえないというのが本音に近いところなんでしょうね。

(たぶん最後の追記)
http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20090423/p1

ようやく納得のいく答えを返してくれましたね。
私が一貫して言っていたのは、われわれが「報道」に金を払う価値を認めておらずそれに対して直接支払うコストだけでは「報道」を維持することはできないのだから、そのコストを
1.「押し売り」によって「報道」に金を払う価値を認めない人にも無理やり負担させる
2.「扇動」によって売れるように味付けすることで『世の中を乱す』
3.社会インフラとして政府がコストを負担する代わりに、政府に都合の悪い「報道」が縮小されることを甘受する
4.誰もコスト負担をせず、「報道」が全体的に縮小される
のどの形を選ぶのかということ ですから、

「仮に商業的には成り立たないにせよ、社会インフラとしてのジャーナリズムは必要なんじゃないか?」「その為には何らかの形の保護策があってもいいんじゃないか?」「でも政府からのジャーナリズムの自立にそれは反しないか?」という部分でみんな悩んでいるんじゃないのか?

というのであれば、3.だけれども「『政府からのジャーナリズムの自立』の縮小」というコストを最小化すべく悩んでいるということなんですよね?なら、はじめから「報道」は公共財なんだからフリーライドにはあたらないと反論していただければよかったんですよ。

ただ、私はその政府に都合の悪い「報道」が縮小されるというコストは、割に合わないと思っています。

なんだこの短絡的な印象操作は?

といわれても、コメントにも書いたとおり単純に金の出所に都合の悪い記事や番組が作れるのか?ということなんですけど。金を出す側に圧力をかける意図がないとしても、普通は萎縮するでしょ?
それに、実際に今のマスメディアが大広告主に都合の悪い報道も十分にやっているのかという問題もあるでしょ。たとえばhttp://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2007/01/post_0f10.htmlなんかで言われているように、広告費とは普段のCMで企業のイメージアップ・売り上げ向上を図るためのものではなく、その企業が何かやらかしたときに報道を抑えてもらう「口止め料」でしかない(つまり、販売部門だけでなく「報道」そのものがヤクザな商売)なんて話もあるわけだし。
現状でも金もらってる割にはその出所に都合の悪い「報道」もよくやってるほうだし、政府から金もらうようになってもこの程度は政府に都合の悪い「報道」をやってくれるなら御の字という評価なら何も言いませんが。

「新聞は押し売りを止めろ」「「岩○書店は『反市場原理主義』を説くなら、まさに自社が市場で持つ力を最大限に優越的に使って小売に『高正味買い切り』を飲ませるな」「オープンアクセスのTV無料放送は『右』『左』以前に放送に節度を保つのが本来果たすべき社会的責任」とはそんなに変な話をしているか? 直球のことしか言ってないだろ?

だから、こっちは一貫してゼニカネの話しかしていないんですよ。「モラル」だとか「公共性」だとか、「社会的責任」なんてメシ代にならないことを、それでも持ち出しでもやろうとするのは日頃HALTAN氏が批判している右や左の運動家ぐらいのものだ。「どんなに『正しい』ことでも、それに必要なコストを誰も支払おうとしないのなら実現不可能な絵空事である」というリアリズムを「シニシズム」だというのであればもうかまいませんが。

(こっちはただのイチャモン)
http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20090424/p2

現在の日本の最大の危機とは、こうやって「安全保障」「外交」までをもTVショーにしてしまうことなんじゃないか?

それはあまりにもエリート主義に過ぎるんじゃないか?そのうち「第1次大戦も第2次大戦も『大衆』が外交や軍事に関心を持たなければ起こらなかった」なんて言い出しかねない。
確かに、プロテスタンティズムとか「偶然」の事情がなければ「民主主義」なんてポピュリズムにしかなり得ないんだから(特に「格差」が小さく「ノブレス・オブリージェ」が存在し得ないこの国では)エリート主義のほうがマシだといわれれば賛成せざるを得ないのかもしれませんが…

(これで最後。返信不要です)
http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20090425/p1

報道が金のことが頭にチラついたりとかして、社会正義の追求に必要な青臭さを失ってはならないし、逆に営業が、あまりに報道寄りになったらスポンサーが軒並み姿を消してしまう。社会のために必要な報道もあるが、無駄にスポンサーを貶める必要もないのだ。

・・・そんなに綺麗に常にマスゴミがスポンサーや政治家や公権力(行政・警察)に操作されている・・・なんてこたあ無くて、実態はまあこの程度のもんだと、自分は思うんですけどねえ?

たしかに、「陰謀」のとおりに情報を操作できるような、強い人間はそうそういないでしょう。しかし、金を出す側にそういう圧力をかける意図がないとしても、金を出す企業に不利な「報道」をすることで業績が悪化し、向こうは善意であるとしても広告費を出す余裕がなくなってしまい自分たちの飯の種が失われてしまう、そういう可能性を考えたときに萎縮してしまう(政府ならそれは起こらないかもしれませんが、与野党ともにあれだけ「圧力をかけたい」と発言する政治家がいてまたそれも一定の支持がある現状を見るとなぁ…)のは否めないのではないでしょうか。「陰謀論」というよりも、むしろ「自分なら『経済的圧力』には勝てない、金を出す者の奴隷になることは避けられない=『ジャーナリズム』の中の人だって勝てないに違いない」というシニシズム(そしてそれは案外間違っていない)というか。
むしろ、営業と報道とのせめぎあいの妥協点として、そういう経済的プレッシャーなく「報道」するための安定収入として「押し売り」は論外としても「扇動」による高視聴率の追求があるのではないか(多くの人に「見られている」=支持されていること、そして「これだけの視聴率があるんで、それならいつでもおたくのライバルが高く買ってくれますよ」と言えることが仮に圧力をかけてきてもそれを跳ね返す盾にできる)とも思いますが。ゼニカネよりも大事な「ジャーナリズムの誇り」があるとしても、それは伝えてなんぼ、見られてなんぼのものでしょう。ならば、どんなに意義のある「報道」であってもそれを見てくれる人が誰もいなければ意味はないのですから、「扇動」に対する歯止めにはならないのでは?

だから節度の問題ってことですよ。

だから、どの当事者にも儲けにならない「節度」とか「モラル」を、他者に押し付けるなって言ってんだよ。「社会的責任」「公共性」の名のもとに、自らがその実現のためのコストを負担することは免れようとする、その心性をこっちは「フリーライド」として批判してるんだ。シニシズムだとも何とも言われてもいいが、そもそも

ここでしばしば「左」の人は「NHKは自民党や役所の言いなりだ!」と言いネット右翼は「NHKは反日だ!」と言う。

というように、情報過多の現代社会では価値観が多様化しすぎて、何が「社会全体のための『公共性』」なのかという合意はないし、マスメディアが全力で一方向に「扇動」したってその合意を得ることはもう不可能、百歩譲っても1億3千万人では社会の規模が大きすぎて無理、そこからスタートするしかないんだよ。政府や公務員・政治家は「公共性」を義務付けられてるけれども、自己の利益や利権のために動いてるならまだしもHALTAN氏がいつも批判してるような「こーぞーかいかく」とか「ちほーぶんけん」みたいな「自らの主観的な『公共性』」でしかないもののために社会を引っ掻き回してるだけだし、まして「政府から自立した」個人や組織なら自己の(経済的なものに限ったわけではないが)利益のみを追求するのは当然、せいぜい顧客や構成員(労働者・下請け)に対する責任を果たしてくれれば御の字なんだよ。。マルチやカルトでさえも、少なくとも「他者の経済的・精神的権利と衝突しない限り『思想信条は自由』『言論は自由』」なんだから、何らかの規範や価値観からではなく悪い結果をもたらすという理由でしか批判やまして行動の制限なんかできないんだよ。そんなことしたら悪用されて「開発独裁」どころか本当の独裁になっちまうだろうが。人はみな自らの利益やインセンティブでしか動かない、それじゃ「万人の万人に対する闘争」だとも言われるけど、独善的な、そしてしばしばごく限られた「エリート」にしか実行不可能な「公共性」を、万人がすべきこととして他人に押し付けられるよりはその方がマシに決まってるんだ。

正直、私が「理想論」を言うだけ言ってその実現に必要なコストは他者に押し付ける「フリーライド」に対して過敏に反応するように、HALTAN氏にとって「シニシズム」というものが何か心の琴線に触れるものである、それだけのことのような気がするんですけどねぇ…。

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コメント

「人民日報」や「プラウダ」はその出自は党機関紙と聞き及んでおりますが、比較対象としては不適ではないでしょうか。
また公金投入やら政府による補填などの言葉が並んでいますが、その方法が明らかでない上、現民間企業への出資なのでしょうから公営化や国営化といった次元ではなく、株式保有や債務保証程度と考えるのが妥当で、BPOの類似組織の設立、権限強化程度が関の山ではないでしょうか。まあ、消費者庁やらが担うのかもしれませんが。
蓋然性の低い事象を過剰に煽りたてる記事に反応した私には、何も言えないのかもしれませんがね。
思わず釣られました。では、よしなに。

投稿: ばちすかあふ | 2009/04/22 13:44

いや、単純に金の出所に都合の悪い記事書けるか?ということなんですけど。金出す側にそういう意図なくても、普通は萎縮するでしょ?
自分ならできるというのなら、ぜひ記者になっていただいてスポンサーなど無視して自分の信じる正義に基づいた記事をバンバン書いていただきたく。たぶん給料でなくなるでしょうが。
あと、今のマスメディアが花Oとかト○タとかの大広告主に都合の悪い報道も十分してるかという問題もある。金もらってる割にはよくやってるほう、政府が金出してもこの程度は政府に都合悪いことも書いてくれるなら許容範囲だというのなら何も言いませんが。

投稿: kogemayo | 2009/04/22 18:12

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受信: 2009/04/28 00:36

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