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2006/02/04

「平成の大合併」はなぜうまくいかなかったのか

 「平成の大合併」も、いよいよ大詰めを迎えている。平成11年3月に3232あった市町村が、今年の4月には1820まで減るという。だが、この「平成の大合併」は、本当に成功したと呼べるのだろうか。合併促進のため、政府は合併特例法の制定や地方自治法などの改正、さらには合併特例債をはじめとするさまざまな財政上その他の優遇措置を行ったが、これから合併の協議を進めていく自治体を含めても目標とされていた1000市町村には程遠い。また、「南セントレア市」をはじめ、合併が破談となり住民の間に亀裂を生じさせてしまったところや、完全に破談は免れても一部市町村の離脱によって飛び地合併や実際の生活圏と合わない行政単位になってしまい、本来の目的であった行財政の効率化が図れなくなった例も散見される。また、合併自体は予定通り実行できたところでも、合併特例債や市への昇格といったステータス狙いばかりが先行して、何のために合併しどのような自治体を作るのかという最も重要な部分が軽視され、住民の不満につながっているところも多い。
 このような事態は、なぜ生じてしまったのだろうか。もちろん、それぞれの地域の首長・議員や自治体職員のエゴや、住民の無関心といった、その地域の責に帰すべき理由もあるだろう。だが、根本的には、政府の目指した合併の目的自体に問題があったのではないだろうか。以下、これについて論ずる。
 「平成の大合併」の目的としては、地方分権が進む中で効果的な住民サービスを実行するために必要な行財政能力の確保という点が第一に挙げられている。これには、財政赤字が続く中地方交付税や補助金などの過疎地や小規模自治体への財政支出を減らしたいという政府の意向が反映されているといっていいだろう。よって、人口10000人を切るような小規模町村の整理統合が中心となり、こちらの目的はある程度達成されたともいえる。だが、規模拡大による行財政の効率化だけで地方分権にふさわしい自治体になれるわけではない。地方分権にもっとも肝心な、自治に関する意識、地域コミュニティへの意識が、自治体・住民側双方に欠けているといった指摘が数多くされている。
 その原因のひとつとして、私は「職住分離」があるのではないかと考えている。日本の勤労者の多くは、仕事場のある自治体に住むのではなく、地価・家賃の低い郊外から仕事場に通勤しており、自宅には寝に帰るだけという生活パターンである。大阪市などは昼間人口のうち36%、15歳以上の従業・通学者では49%が他の市町村の住民になっている(以下、人口と通勤通学先のデータはすべて平成12年国勢調査による。)ほどだ。通勤時間を含め拘束時間17時間などという長時間労働もまれではなく、この場合完全週休2日としても週の半分以上は居住する自治体にいないことになる。実際には、休日のレジャーや買い物なども仕事場のある自治体やその間にある自治体に頼ることも多いので、ここまでの長時間労働でなくとも居住する自治体にいる時間が睡眠時間を含め半分以下という人は多いだろう。このような生活をしている人々に、居住する自治体への自治意識を持てといわれてもそれは無理な話だ。むしろ、仕事場のある自治体のほうにのみ自治意識や地域コミュニティを持つほうがまだ可能性があるといわざるを得ないが、そちらには選挙権はなく、また住民ではなく通勤・通学者を受け入れる地域コミュニティもそれほど多くはない。かつてはそれでも、家庭にとどまる専業主婦や子供の学校を中心として居住する自治体の地域コミュニティに参加する世帯が多かったが、近年の共働きの増加や少子化、あるいは私立小中学校など遠距離通学の増加によってこちらも崩れかかっている。このような、居住する自治体や地域コミュニティへの無関心が、中心市街地の衰退など多くの社会問題の遠因となっているのではないだろうかと私は考えている。
その一例として、札幌市に隣接する市の、住民の通勤・通学先を見てみる。たとえば、江別市では居住する15歳以上の従業・通学者のうち、37%が札幌市に通勤・通学している。北広島市では40%、石狩市にいたってはなんと49%が札幌市への通勤・通学者である。ある自治体の従業者・通学者のうち5%が通勤・通学していればそこの通勤圏にその自治体は入っているといわれるが、その水準をはるかに上回っている。これらの衛星都市は、本来なら札幌市に吸収され、その区の1つとなるべきものではないかと私は考える。また、京都府大山崎町では、京都市に24%、大阪市に11%が通勤・通学しており、町外への通勤・通学者は実に15歳以上の従業・通学者の74%に達する。このような完全にベッドタウンである自治体に、単独で存在する意味があるのだろうかと考えてしまう。
 しかし、「職住近接」させるために、都心や仕事場に近い場所に住居を確保するのは難しい。近年の地価下落や再開発によって、「都心回帰」の動きが強まっているといわれているが、まだまだ都心居住できるのは富裕層に限られており、大都市圏では大多数の勤労者は仕事場のある自治体のはずれにも住めないのが現状だ。土地の高度利用や再開発によって都心部の住宅を増やすのにも限界があろう。ならば、長距離通勤であっても、「職住一致」、すなわち住む場所と仕事場が同じ自治体になれば、その自治体に対する自治意識も向上するのではないだろうか。単に行財政の効率化だけを目的とした規模拡大のためだけの合併ではなく、自治意識や地域コミュニティの回復のため、地域中心都市によるベッドタウンの吸収こそが必要なのではないだろうかと私は考える。
 「平成の大合併」においても、浜松市や新潟市は政令市を目指して、周辺自治体を多数吸収する大規模合併を行った。が、それ以下の規模の都市圏では、地域中心都市による周辺自治体の吸収よりも、秋田県潟上市や石川県かほく市・白山市、香川県さぬき市などのように、ベッドタウンである町村同士が合併して衛星都市に昇格する例のほうがむしろ多く見られる。この理由としては、まずベッドタウンは財政的に中心都市よりも余裕があるところが多いという点があげられる。ある程度のインフラは必要だが、それは住民の数すなわち収入に見合ったものであり、規模の経済がそれほど効くものでもない。また、拠点機能をすべて地域中心都市に頼ることができるため、その分の投資や公共事業も必要なく、そのうえ、立地条件を活かして郊外型の商業・娯楽施設や、工場・物流関連施設を誘致し、地域中心都市から顧客を引っ張ってくることができれば万々歳である。昨年福島県が制定して論議を呼んだ郊外型大型店規制条例も、突き詰めればこのような衛星都市の地域中心都市へのフリーライドにストップをかけようという動きだと見ることもできる。さらに、「平成の大合併」は、政府側に行財政の効率化という目的があったため、合併へのインセンティブも財政的なものが多かった。そのため、地域中心都市よりも豊かなベッドタウンは、わざわざ吸収されて名前も残らず貧しくなるよりは豊かな町同士がくっついて市というステータスを得ることを選ぶのも、地域アイデンティティの意味からも当然だろう。また、もともと財政的に問題のない自治体には合併を促す効果が薄く、そのため特に地域中心都市がすでに政令市になっているような大都市圏ではほとんど合併が成立していない(東京都・神奈川県・大阪府それぞれ1つ)。本来村落内で自給自足的にやってこれた過疎地よりも、大都市圏こそ道路・公共交通が四通八達し、通勤・通学距離も長く広域行政が求められるはずなのだが、それがまったく逆になっているのではないだろうか。
 このような状況を改善するためには、どうすればよかったのだろうか。地域アイデンティティを第一とするならば、行政区の積極的な活用がひとつの手ではないだろうかと考える。現行の地方自治法では、政令市は行政区を設け、区の事務所を置くものとされている。これをもう少し柔軟にしてはどうだろうか。合併特例法によって、合併した自治体は行政区とは違い法人格や多少の自治機能を持つ合併特例区を設置できるようになったが、範囲は旧市町村単位に限られており、また合併後5年以内に限られるなど、制限が多く合併した市町村の中でも使われているところは少ない。ならば、地域内の自治機能自体は別途自治体の判断に任せ、行政区の(ステータスとしての)権利を合併するしないにかかわらずすべての市町村に認めてもいいのではないだろうか。たとえば国勢調査など公的な統計や、都道府県議・国政選挙などの区割りなどに現在の政令市の行政区同様に使われるならば、地域アイデンティティは十分に保たれるだろう。区役所などをすべて設置する必要はなく、その区割りも各自治体の自由でいい(そのかわり地方交付税などの財政措置も行わない)。たとえば、明治の大合併以前の村単位とか、町内会単位などに細分化した行政区を設置する自治体も出てくるだろうが、それも住民の選択であろう。
 また、京浜葉埼・京阪神・名古屋といった巨大都市圏においては、県境を越えた長距離通勤・通学が大変多くなっており、埼玉県などは東京都内に出先機関を置き、住民サービスに努めている。しかし、仕事場がある自治体の政策に影響を与える機会というのはほとんどない。選挙権や請願権はもちろんのこと、埼玉県から東京都に通勤する人には、仕事場のある自治体の住民と同じ政治家を選べる機会すら、参院選の比例区しかないのである。この状況では、地域の自治のみならず国政も含めた政治全般への関心が低下するのも当然だろう。現在の都府県の枠を超えた広域行政が必要とされているのではないかと私は考える。
たとえば東京都区部の5%通勤圏を見ると、総武線方面は成田市・八街市、外房線方面は茂原市・東金市、内房線方面は袖ヶ浦市、常磐線方面は土浦市、東北線方面は小山市、高崎線方面は深谷市、中央線方面は上野原町、東海道線方面は二宮町まで達する。この範囲内を「グレーター・トーキョー」として県並みの市とし、内部の市区町村(あるいはそれをさらに細かく区割りしたもの)をそれぞれ自治機能を持つ特別区とするぐらいのことをして、居住地と仕事場が同じ市町村にある人を主流にしなければ、巨大都市圏内、いや地方都市でも自治意識や地域コミュニティの発展は難しいのではないだろうか。
現在、各自治体や政府の一部でも、地方分権のための道州制が論議されている。だが、その中身は、現在の都道府県を道州に発展的解消しただけのもので、その中での市町村の姿というのは現状(あるいは「平成の大合併」以前)から何も変わっていないように思える。だが、明治の大合併は小学校、昭和の大合併は中学校の設置がきっかけとなって行われた。今回の合併はそれほど大きな社会の枠組みの変化が背景ではないが、道州制ほどの大変革が全体で行われるならば、それにつれて下のほうも変わらなければならないはずだ。おそらく、本当に日本に道州制が導入されるならば、そのときには再び市町村も次なる大合併を含む大変革を強いられることになるだろう。それは平成の次の時代になるかもしれないが…

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