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2005/12/21

書評:「大型店とまちづくり」(矢作 弘、岩波新書960)

大型店がいかにして地域商業を、地域経済を、地域社会を破壊するのか。
この本には、その最も顕著な実例が描かれている。

その中でも、もっとも多く「敵」として取り上げられているのは、
やはりアメリカ一、いや世界最大の小売業、ウォルマートである。
ウォルマートが「Everyday Low Price」を実現するために
どれだけ地域社会に、社員に、そして仕入先に大きな負担をかけているか…。

たとえば、それまで地域で生産される新鮮な食料品を販売していた個人商店が競争に敗れ、
少しでも安くするために海外で農薬漬けで生産された野菜や乳製品しか買えなくなるのみならず、
車を買うことさえできない低所得者や運転ができない高齢者が
郊外の大型店へ行けず、近くのコンビニでファストフードを買うことしかできず
肥満や不健康な生活習慣に悩まされる「食料砂漠」と呼ばれる現象や、
国内生産では「労働者を無給で雇っても赤字になる」ほどの納入価格を要求し、
財務諸表までチェックしまだ余裕があると納入価格の引き下げを強要するといった異様に厳しいマーチャンダイジング、
そして安売りを追求するため組合運動を潰し低賃金低福祉に徹し、
競合他社や仕入先をもそれに巻き込むことで貧困層を拡大し、自社の顧客として取り込む
米国を第三世界化するビジネスモデル」(またの名を逆フォーディズム)など…

これらの大型店の行動は、地域社会のみならず地方政府そのものにも大きな打撃を与えている。
地域の中心街が壊滅に追い込まれたことによる地価下落や地域の賃金水準をも下げることによる税収減、
そして低い医療保険の加入率(アメリカでは日本のように「国民皆保険」ではない)による公的医療の負担増など、数えればきりがない。
そこで、各地の自治体や住民は店舗面積の上限規制や、退店後の空き店舗対策のための預託金の徴収、
あるいはコミュニティビジネスとしての「我々の小売店」運動など大型店に対抗する数々の動きをはじめている。
日米構造協議では日本に「非関税障壁」として大店法の廃止などを求めておきながら、
自分たちの間ではむしろ規制を強めているのである。
あるいは、国内の物質的にも精神的にも豊かな生活を守るために
他国に自分たちが収奪できる環境を押し付けているとも言える。

今、日本の地方でも、イオンを初めとする郊外型SCが地域商業を破壊しているといわれている。
これに対し、福島県など各地の地方自治体では、大型店を規制する条例を作ろうとしており、
また国も都市計画法の改正など中心部への都市機能の集約を進めているようだ。
だが、このような出店規制を導入すれば地元商店が復活するのだろうか。
そんなに甘くはないと私は考える。なぜなら、アメリカと日本では市場環境がまったく違うからだ。

ウォルマートが近年中心としている業態は、スーパーストアと呼ばれるもので、店舗面積は8000~18000㎡と広大だが
品揃えとしては食料品、それもどこででも売っている物が中心になっており、その安売りが商店街の食料品店を直撃している。
しかし、近年の日本では食料品中心の業態は、都心部でも地方でも、店舗の大小も問わずむしろ好調といえる。
その筆頭がセブンイレブンなどのコンビニエンスストアである。主力商品は菓子類や清涼飲料水、そして弁当・惣菜類であり、
中にはshop99など、生鮮品の扱いを始めたところもある。あのダイエーも、GMSから食品中心の業態に変えたことで業績が回復しているそうだ。
各地の商店街においても、この不況下でも元気がいい、地域コミュニティに根付いているといわれるところは、
亀有・東和銀座など、もともと小商圏型で食料品・日用品中心の近隣型商店街だったところが多い。
そして何より日本では、地域に根付いた地場の食品スーパーの存在が大きい。
彼らは、もともと食料品の個人商店だったところがセルフサービスを導入してスーパーになり、
時には隣町の八百屋や魚屋を潰したり吸収したりしてローカルチェーンを築いたところが多く、
地域の食生活・日常生活を知り尽くした生鮮品の細かい品揃えが強みであり、
全国チェーンと互角以上の戦いを繰り広げているところも数知れない。
商店街の核店舗として集客の要になっていろところもあれば、
PLANTベイシアカインズグループのように、そこからウォルマート型の
スーパーセンター業態に進出して業績を上げているところもある。
しかし、ウォルマートのように食料品においてコスト優先で食生活の違いや地域農業を無視した標準化を図り、それが成功した例はほとんどない
(またそれが有効になるといえるほど大規模な店舗網のスーパーセンターは日本ではまだない)。おそらくアメリカでは
もともと植民地・開拓地だったせいか、日本ほど食生活に地域差がないので標準化が成功したのだろう。

いっぽう、日本の地方都市で問題になっている郊外型SC・モールは、アメリカとは違い衣料品やスポーツ用品、家電や家具など
買回品
の大型専門量販店が中心であり、商圏は50~100km、商圏人口も50~100万人に達することがある。
これらの影響は、地方都市の中心商店街やGMSといった、大体一市(5~10km、人口5~10万人)を商圏とする店舗を直撃している。
考えてみれば当然のことで、10万人都市5つにそれぞれ店舗を置くよりも50万人をカバーする大型店1つを立てたほうが、
10万人商圏の店では割に合わなかった専門品も揃えることができるので、価格が同じでも(移動能力のある)消費者にとっては望ましいともいえるのだから。
あるいは、かつて自家用車などなく近くの都市まで1日5,6本の汽車で2時間近くだったころには
仕方なく地元の商店街やGMS・小型百貨店で普及品を購入していたのが、
今のように道路はもちろん公共交通も発達し特急電車も高速バスもそれぞれ時間当たり複数本出ていて3,40分で行けるような時代になってしまえば当然
皆がより大都市へ行き、専門店でより自分に合った商品を購入する(ストロー効果)だろう。

私もこの夏に東日本各地の地方都市をまわってみたが、特に元気のない中心街に共通するのは
食料品・日用品といった最寄品の店がコンビニ・スーパーを含めてほとんどないことだ。

この本で書かれているようにウォルマートを拒否した町がどのような地理的環境にあるのかはわからないが、
日本人でも名前を知っているような100万都市まで車で飛ばしても1日では着かないような過疎地域も多いだろう。
日本では北海道以外はどこからでも車で2時間も走れば県庁所在地か人口20万以上の都市に着く。
道路だけでなく公共交通も

SCに対抗すべく個店・その商品の魅力を高める方策としては、静岡市呉服町商店街青森市新町商店街などで行われている「一店逸品運動」や、
その町にない業種・業態で起業を目指す若者や主婦・定年退職者に
空き店舗を無料で貸し出す(チャレンジショップ)などの起業支援をしているところもあるが、
これも少なくとも県庁所在地クラスの集積がある都市でないと成功には至っていないようだ。

つまり、ウォルマートのように既存商店と同じものを安く売る大型店ならば
店舗の立地や面積を規制することで(総合的に公益に適うかどうかはともかく)
既存商店の保護という目的は果たせるが、現在の日本ではそのような市場環境ではなく、
またアメリカにおけるウォルマートのやり方そのままで進出しても成功の可能性は薄いといえるだろう。
しかし、日本の流通業界(に限らないが)でも、近年のさらなる「価格破壊」の進展により
正社員から派遣・パートへの切り替え(スーパーでは店長もパートというのがざらだ)など低賃金長時間労働低福利厚生化はますます進んでいる。
小泉『改革』がこのまま進み、貧富の差、都市と地方の格差がますます広がった社会になってしまえばどうだろうか。
現状では、年収100万円もないようなフリーターや派遣社員、あるいは年金生活者でも、
コンビニや自動販売機で150円の清涼飲料水を買えずに朝まで待ってスーパーで120円、
いや100円ショップで買わなければならないというところまで追い詰められているということはない。
だが、この本で書かれたアメリカの地方の姿が、将来の日本の姿だとしたら…

せめて、「ここ以外では(高くて)買えないからこの店に行く」のではなく、「ここにしか(ほしい商品が)ないからこの店に行く」
ことができる社会であってほしい、そう切に感じる。

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