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2005/07/30

郵政公営化論

郵政民営化に関する論議も、いよいよ最終局面にきているようだ。だが、一時に比べ、世論の関心は郵政民営化の是非よりも、それによって政局がどう動くかという点にしかないように思える。おそらくそれは、郵政民営化に関する賛成派・反対派それぞれの議論がかみあっておらず、そのため(特定郵便局関係者などの)当事者ではない国民にとってどのような影響があるのかが見えてこないので関心を失っているのであろう。

小泉首相をはじめとする賛成派の主張は、郵貯・簡保の資金を自主運用させ、特殊法人等へのカネの流れを断ち切ることで『構造改革』につなげるというもので、郵便事業におけるユニバーサルサービスは維持するというものだ。一方、反対派の反論は、郵便のユニバーサルサービスを維持するためにも郵貯・簡保の運用益が必要であり、そのため国営による一体運用が必要だというものである。両者の議論がかみ合っていないのは、郵便と金融というまったく違う事業を区別せずに論じているからではないかと考える。

現在の政府案では、郵便会社と貯金会社・保険会社、そしてこの3社から業務を受託する窓口会社の4社に分け、その上に持ち株会社を置くが貯金会社・保険会社は早期に完全民営化することになっている。そこで、以下それぞれの事業ごとに民営化の是非、ユニバーサルサービスの維持の可能性について論ずる。

まず郵便会社であるが、反対派は民営化すると過疎地を含む約25,000局のネットワーク(うち特定局約19,000)が守れず、ユニバーサルサービスが維持できないということを(建前としては)主張している。これに対し、賛成派は民間企業がすでに過疎地でもサービスを行っていることから、ユニバーサルサービスの維持は可能だと主張している。これに関しては、反対派の意見に説得力はまったくないと考える。民間企業に任せると利益の出る都市部だけで事業を行い過疎地のサービスがなくなる(たとえばニュージーランドのように)と反対派は主張するが、ヤマト運輸は国内カバー率100%を1997年から維持しており、また都市部しかサービスしない代わりに料金が安いという企業は、少なくとも業界である程度の地位を占めるほどのものとしては存在しない。仮にそれが運輸省の規制のせいだとしてもそのような形で参入しようとした企業がヤマト運輸のように規制と戦おうとしたという話はない。少なくとも日本では、過疎地でも都市部同様のサービスを行うことが消費者からの支持を得ているといってもいいだろう。また、今のままでも反対派が言うほど郵便会社の競争力は低くない。近年郵便小包の取り扱い個数は急激に増えており、2005年度にはヤマト運輸・佐川急便の約1.3倍まで達している。また、個人向け宅配分野において郵政公社に大きく引き離された日通・西濃運輸等との提携も積極的に進めており、これらを加えむしろヤマトをしのぐともいえる大連合を築きそうな勢いだ。また、サービスレベルも民間宅配便には劣るものの満足といえるレベルまで上がってきており、トヨタ生産方式等の導入でまだまだ向上しそうだ。むしろ、現状でここまでできているのだから民営化する必要はないといわれてもおかしくないほどだ。運営形態が国営か民営化はともかく、少なくとも独立採算は十分可能であると考える。

では貯金会社・保険会社についてはどうか。賛成派は、民営化によって資金を自主運用することで、特殊法人等の廃止や改革ができると主張しており、反対派はそもそも貯金・簡保会社にそれだけの資金運用力はなく、またそれができるとしたら民間金融機関にとって過当競争になる、さらに郵貯・簡保の資金が外資に流れる危険性があり、また民間金融機関ではペイオフや保険の予定利率引き下げが可能になったことから郵貯・簡保のような国の保証がある、リスクのない金融商品が必要だと主張する。確かに、貯金・簡保会社の運用力については、数年前まで大蔵省資金運用部任せにしていたのだからほとんどないといっていい。しかし、同じ頃まで護送船団方式で守られてきた民間金融機関に、それに勝る運用力が本当にあるといえるのだろうか。ここ数年は高い利益を上げているようだが、それは貸し渋りや行員のリストラ、あるいは時間外手数料の値上げや小額預金者への管理手数料などサービスの低下によって得たものであり、運用力がついたとはとてもいえない。反対派は外資への資金流出を問題にするが、預金者にとって見れば運用力が高い外資ならばむしろ望ましいといえる。また、サービス面でも民間金融機関は規模の大小を問わずよいとはいえない。小額預金者の冷遇といった制度面だけではなく、接客面においてもむしろ郵便局のほうがまだましという人も多い。そして、預金者向けの商品としても、少なくとも大口顧客以外に対して民間金融機関が郵貯・簡保より魅力的な金融商品を提供しているかというと疑問が残る(もっとも、単に郵貯・簡保が国営意識のまま運用力につりあわない商品を出しているという可能性は高いが)。民営化したとしても、郵貯・簡保会社が現在の民間金融機関程度にとどまるのであれば、国営を維持するのとそうかわりはないだろう。また、貯金・保険会社の参入によって競争を激化させ、その中から運用力・商品開発力・サービス力を向上させ国際的に通用する金融機関を生み出すというのであれば、その過程で再びバブル直後のような金融不安が起こる可能性もある。また、小額預金者に対するユニバーサルサービスの問題もある。これは本来民間金融機関も含めた規制の再強化によって行うのが筋であるが、それが金融自由化への逆行となりできないのであれば郵貯・簡保を国営で残し、小額預金者向けのローリスク・ローリターンの金融商品に特化した金融機関とすることもやむをえないのかもしれない。

そして、窓口会社についてである。今一番問題になっている特定郵便局についてだが、19,000の特定局のうち集配を行っているのは約3,500局、普通局を加えても約5,000局に過ぎない。ヤマト運輸の集配拠点がおよそ7,000であるから、これは大幅に増えることはない適正規模だといえるだろう。つまり、残りの約20,000の無集配局は、実質的には銀行の支店が片手間に切手を売っているようなものである。反対派は、民営化すると過疎地の特定郵便局が閉鎖されユニバーサルサービスが維持できなくなるというが、郵便のユニバーサルサービスだけならばこの20,000の無集配局は閉鎖してもなんら影響はないといえる。本来郵便、すなわち運送業は、車(輸送手段)さえあればできるものなのだからある意味当然だろう。

だからといって無集配局が必要ないというわけではない。過疎地とまではいえない地域であっても、民間金融機関が(コンビニのATMを含めて)ないという地域は数多い。これらの地域において、住民や旅行者に金融サービスを提供することは、間違いなくユニバーサルサービスとして維持されるべきであると私は考える。では、そのためにはどのような形態をとるのがふさわしいのか。

現在の法案では、窓口会社側は貯金・保険会社の金融商品のみを扱う義務はなく、むしろ民間金融機関の金融商品も扱うことが期待されている。また貯金・保険会社に関しては、運用力のなさから資金量を増やしすぎてはいけないと考えられたのか、窓口会社からの資金を受け入れる義務はないようだ。つまり、少なくとも完全民営化によって持ち株会社から離れた後は、窓口会社との契約を結ばずインターネットや民間の金融代理店を通じた独自の資金調達のみで運営していくことも可能なのである(そのような『支店のない銀行』としてはJapan NetBankアイワイバンク等がビジネスモデルとして存在する)。しかも、先に述べたとおり郵便会社にとって無集配局はコンビニと同じ受付店にしか過ぎず、たとえ窓口会社がなくなっても郵便会社は民間並みのサービスを維持することは十分可能である。そうなれば窓口会社の経営も大幅に悪化し、無集配局のみならず窓口会社全体の経営が成り立たなくなる恐れがある。これを危惧して反対派は貯金・保険会社に窓口会社との委託契約を義務付けることによって「骨抜き」にしようとしているようだ。また、窓口会社側が貯金・保険会社との契約解除のリスクを埋めるため積極的に民間金融機関の金融商品の取り扱いに乗り出すならば、民間金融機関の中には貯金・保険会社と同じ形になるように、コストセンターである従来の支店を(場合によってはATM)すべて閉鎖し、自社商品の販売をすべて窓口会社(あるいは民間の金融代理店)に委託して貸し出し・運用に特化するところも出てくるであろう。これまで多数の店舗を一等地に構えていたのが、貸出・運用業務だけなら少数のオフィスだけで十分なのだから相当な資産リストラになる。また、人的にも大リストラが考えられるが、これまでの店舗要員(預金者への営業担当)を貸出・運用業務にまわせば相当な運用力の強化が見込める。また、これまで一定の地域内でしか営業してこなかった地銀や信金・信組が全国から資金調達することも可能かもしれない。窓口会社側にとってもそのほうが安定収入につながり、「品揃え」の豊富さで顧客を獲得できるかもしれない。しかし、これでも窓口会社が維持できるのはもともと民間金融機関の支店があったような都市部の郵便局だけであり、過疎地における金融サービスは維持できないだろう。ならば、郵便会社のみスピンアウトさせ、今までどおり貯金会社・保険会社と窓口会社を一体化しておくことで(「郵便」貯金ではないが)ユニバーサルサービスを維持すればいいのだろうか。しかしそれは、貯金会社・保険会社にとって、小額預金者へのユニバーサルサービスの上に過疎地へのユニバーサルサービスまで担わせるのはたとえ国営のままだとしても相当な重荷になる。また、郵便サービスは現在でも(郵政公社の独占が法律で定められている信書を除いては)都市部・過疎地を問わず郵政公社と民間宅配便との選択ができるが、金融サービスは過疎地では郵貯・簡保しか選ぶことができず、この地域格差も解消すべきではないかという意見もある。また、賛成派は窓口会社の民営化によって郵便局がコンビニになり、行政サービスを含めた高いサービスが受けられるようになるというが、全国1社で運営するのであれば全国ネットワークのあるコンビニレベルの購買・商品開発組織が必要になる。仮にそれは既存のコンビニとの合併・提携でまかなうとすれば、その既存のコンビニと店舗網が重なる都市部において大規模な店舗再編が必要になり、あまり有利とは言えない。

ならば、窓口会社は民間でも国営でもなく、地域ごとに分割して自治体に任せてはいかがだろうか。それも、都道府県、いや市町村単位で分けるべきだと考える。財源に関しては、ユニバーサルサービスの維持の観点から言えば地方交付税で(人口と民間金融機関の店舗数に応じて)配分するのがのぞましいが、近年地方分権の観点から交付税・補助金から自主財源への切り替えを求める世論が強まっていることもあり、それぞれの自治体の自主財源によってまかなうことになるだろう。であれば、福祉や公共交通同様、都市部では民間でも採算が合うので民営化やコンビニ等への委託が主流になり、一方過疎地では自治体が直接運営するか補助金での運営になると考えられる。そして、それぞれの地域の窓口会社はそれぞれの地域ごとのきめ細かいサービスを行う(あるいは行政サービスと完全に一体化する)ことで、既存のコンビニとの差別化も図れるだろう(むしろ地域の中小商工業者と競合する可能性はあるが)

結論としては、少なくとも国内競争力は十分にある郵便会社のほうを早期に完全独立・民営化させるべきであり、貯金・保険会社は当面小額預金者へのユニバーサルサービスのための金融機関として縮小し国営で存続、そして窓口会社は地域密着のため細かく分割しサービスの維持は地域に任せるべきであると考える。

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